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2010年7月

2010年7月26日 (月)

逝きました…。

ダイナさま…、今朝(7/26)亡くなりました。



昨日の夜、「一か月もブログサボっちゃったなあ…。ダイナも元気で~す!って書かなくっちゃ…。明日でいいか…」なんて思っていたのに。


今朝、目が覚めたらすでに。

前日までは普通にしていた。正確に言うと夜ふかし気味な私が2時に寝るまでは普段通りに気持ちよさそうにスースー寝息を立てて眠っていた。

寝るよ~って私が動いた時も、ちょっと起きてこっちを見たりしていたのだ。


その時寝ていたその場所で、そのまま(たぶん眠ったまま)亡くなってしまった。
誰にも知らせることもなく。


心臓のこともあったので、突然亡くなることもあることは想定内だった。
まったくその通りになったのだけど、あっけなさすぎる。



6月10日頃に痛み止めの薬からモルヒネ系のフェンダネルパッチに切り替えて、
1か月以上絶好調だった。
骨肉腫の進行は進んでいるものの、普通に生活出来ていて、病気をうっかり忘れてしまう程に。

7月17日の早朝、突然「ヒーヒー」鳴き出し、フェンダネルパッチが効かなくなったらしく、
分量を少し増やしてもらうことに。

前日に貼り替えたばかりの8.4ミリグラムに4.2ミリグラムを追加して様子見。

4日後の張替えまで、痛みも無さそうで、良い感じだったが、ちょっと効き過ぎで足がふらついたりもしていたので、10ミリグラムくらいが相当なのでは?と。

パッチのサイズは上が12.6ミリグラムのものしかなく、8.4と2.1ミリグラムを2枚貼るのは割高なので、12サイズの端っこ1センチくらい裏紙を残して貼るという作戦に。

もしまた痛そうにしたら、裏紙を剥がしましょうってことで。

そして日曜日(昨日)の診察までまた調子良く過ごしていた。


毎日暑い日が続いていたので、来週くらいから軽井沢に連れて行ってあげようと考えていた。
軽井沢から通える範囲で、フェンダネルパッチを扱っている動物病院を探したけど、皆無だったので、今の病院に通い続けなくてはならない。
週2回、軽井沢と所沢を往復するのは大変だけど不可能ではない。


12サイズのパッチの裏紙を途中で剥がす作戦で、5日で貼り替えはどうだろう?と担当医と相談して、25日日曜から30日まで、実験的にやってみましょう!ということになっていた。

5日ごとの往復なら、それ程大変じゃないかも…と覚悟は決めていたのだ。



病院の帰り(夕方)にちょっとだけ航空公園にも寄って、ドックランを外から眺めて帰ってきた。

普通だった。


夕食もきちんと食べた。

人間の食卓もみんなの傍を順に回り、「肉くれ~」って催促したりもしていた。



そして、朝、冷たくなっていたのだ。

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昨日(25日)の夕方、病院でイタズラ気分で撮ったダイナ。最期の写真になっちゃった。

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これは人様にあまり見せるモノではないのかもしれないけど、7月中ごろのレントゲン写真。

左上の白い塊が骨肉腫。

右下の丸い部分が肉腫に押され気味の心臓。

気道なども押されてグニャっとカーブしている。



こんな状態だったけど、何故か元気だったのだ。

担当医も首を傾げていた。(笑) 私もだったけど。

「ダイナちゃん程、薬の反応が良い子は少ない」って。



真夜中に、ダイナの体の中で何が起こったのだろう。

以前、胸水が突然貯まってしまった時のように出血が起きて、その拍子で心臓が止まってしまったのかもしれない。


眠ったまま、死んでしまった。


誇り高いダイナらしいと言えば、ダイナらしい。
私達に、辛い姿や痛がる姿を殆んど見せず、ご機嫌さんのまま眠ったのだから。


4月1日に「余命は3カ月~長くても6カ月」と言われていた。
ショックは受けたけど、覚悟を決める長い時間もあった。
私達の心を疲弊させるような辛い日々は一日も無い程、元気に過ごしてくれていた。


あまりに調子が良いので6カ月以上頑張れちゃうかも…なんてホンの少し思ってたりもしていたけど……

結果は4か月だったけど、痛みもなく幸せに逝ったんじゃないかと思っている。
心臓発作で…は覚悟をしていたし。


ちょっとだけ、「教えてくれれば良かったのに~」とは思うけど、すぐそばに寝ていた私達も(もしかしたら本人も)気付かないほど、静かな終わりの時だったのだろう。
それはやっぱり幸せなことなのかもしれない。

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ご心配や励ましの言葉を頂きました皆様、ありがとう!!

ダイナは最後まで笑ってたよ♪

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