いつかちゃんとボク(アメショ)の話を書いてあげなくちゃと思いながら、
中々機会が無くて。
時々しか話題に出来なかったボク爺の長い長い命に終りの日が来ました。
2月28日。 享年23歳と5ヶ月と2日。
以前、誕生日が判らない~!って書きましたが、その後、姉が血統書を探しだし、
1985年9月26日生まれと判明してました。
ボクは1才になる頃に、年上女房のチャミと一緒に我が家にもらわれて来ました。
当時、前のアフガンのサトルのトレーニングをして頂いてたトレーナーのKさんに、知り合い(お客さん?)のお金持ちの人が、「下痢ばっかりしてるからもういらない」って言ってるんだけど、飼ってもらえませんか?と言われて。
この金持ちの誰かさんはホントに困った方で、ペットショップを覗いては「かわいい!」と言って犬猫その他、見境なく買ってきて、都合が悪くなると「いらな~い」になってしまうようなダメダメな人だったらしく、Kさんは良い方なので、「かわいそう」と里親探しに奔走し、ご自身はオウムを引き取られたのだそう。
当時、まだアメリカンショートヘアってTVでしか見たことないくらい少なかったので、
「もらう、もらう!」と。 まあ、ウチも結構いい加減ではありました。(笑)
2階建ての大きなケージと共に我が家にやって来ました。
「この子達はこれしか食べません」というお高い猫缶も一緒に。
当然我が家はそんな高価な猫缶なんて買い続けられるはずもなく、普通の一般的な猫缶とカリカリに。(笑)
バクバクとおいしそうに食べてました。
ボクの下痢も最初の一週間くらいで治ってしまい、その高価な猫缶が原因だったんじゃないの?って感じで、まったく…。
下痢が原因で捨てられたようなもんなのに、原因を作ってたのは飼い主なんじゃん!!
若かりし頃のボク
ボクはとにかく優しい性格でした。
年上女房のチャミとは特に仲良く優しく優しく。
その後もいろんな曰く付きで我が家にやって来た5匹の猫達にも3匹のイヌ達にも
一度も威嚇などで脅すこともなく、優しく向かい入れてくれました。
妻のチャミと。
チャミちゃんは出産疲れで、ちょっと痩せてます…。
子猫に興味深々のサトルとちょっぴり心配?平気?なチャミ。
子育てにお疲れ気味なので、サトルに子供を預けて休憩中。
戸惑うサトル…。
新潟に貰われて行った、ボクとチャミの子供。
一緒に暮らした仲間の猫達。
ペルシャと虎猫の雑種、「クリ」。
いつもびっくりしたような顔をしていることから命名。(笑)
姉が知り合いから貰って来た。
人見知りネコ見知りの孤高のクリだったけど、ボクの優しさ攻撃に負け、一度だけ身ごもる…(笑)
貰われて行った子供の茶々丸くんは大事に育てていただき、18歳まで生きたそう…。
デカ猫 「ウル」
当時姉が勤めていた動物病院の玄関に置き去りにされた猫エイズ持ち。
ボク同様、性格がとても良く、ご飯も皆が終わってから…、気を使っていたのだろうか?
でも私は一番好きな猫でした。
シャム猫にしか見えないけど雑種の「カキ」。
那須で拾う…。
唯一お金を出して買った猫。(笑)
「モモ」
ショーキャットとしてチャンピョンにもなりましたが、肝臓を悪くして、癲癇を起こすようになり、10歳を前に亡くなりました。
発作の後の汚れた体をボクは優しく舐めてくれました。
ボクが20歳を迎えるころに、交通事故に遭いました。
ほとんど家の中しか知らないボクがちょっと開いてしまっていた窓から外に出て、家の前で軽トラックに轢かれてしまったのです。
幸いタイヤにぶつかっただけだったので、内臓には損傷が無かったのですが、前足と後ろ脚に大けが。
急いで病院に連れて行きましたが、後ろ脚は切断ということになりました。
前足の怪我も状態がちょっとひどく、もしかしたら切ることになるかも…と言われました。
それだけは…どうか…と。
傷の手当てをかなり頻繁にしないと腐ってしまうかもしれない状態で、出来るだけやってみますと入院することになりました。
高齢なので、ストレスが強いと弱ってしまう心配もあったのですが、穏やかでストレスフリーなボクは看護師の方や獣医さんにもゴロゴロと甘えて、爪を立てることも嫌がることも無く、痛かっただろう術後のガーゼ交換やその他出来うるすべての治療を受け入れて、前足は無事に完治することが出来ました。
「何をしても大人しいので、治療がとっても楽でした。」と病院のスタッフの方たちに誉めていただきました。
普通はちょっと嫌がったり拒否したりするので、前足の傷も切断になることが多いとのことでした。
ボクの性格が自分の前足を守ったんですね。
3本足になってしまいましたが、元気に歩き、走ることさえ出来ました。
この時点で20歳。
充分長生きだけど、せっかく20歳まで無事に生きたのに、交通事故で亡くなるっていうのはあんまりだわって思ったので、命がつながってホントに良かったな!って感じていました。
そこから3年。相変わらず穏やかに過ごしていました。
目も耳もほとんどダメになってしまったし、ちょっとボケてて、一日に何度も「ご飯をくれ~」って鳴いていたけど。(笑)
いつの頃か、「明日死んでも大往生。」と思うようになり、また、静かに家で亡くなって欲しいなとも。
老人性の慢性腎盂炎にもなっていました。 これだけ生きていれば、仕方ない病気です。
無理な治療はしないことにしていました。
食事も食べたくないものを無理やり…っていうのはかわいそう。
好きなものを欲しいだけ。
腎臓病用の処方食の缶詰が何故か?お気に入りだったという点は、ホントに助かりました。(笑)
ダイナのベットに仲良く入ってるタバサ・ノン兄・ボク爺
年が明け、「23歳かぁ~。なんかこのまま今年も細~く長~く過ごしちゃいそう…。
夏さえ無事に越えてくれればねぇ~」 なんて思い始めた頃…。
その時は急にやって来ました。
2月24日の火曜日にちょっと食欲が落ちたなぁと感じ、水曜には全く食べなくなってしまいました。
食べさせないと体力がどんどん落ちるので、注射器やスポイドでご飯や水を与え、木曜には少し歩きまわるようにはなりました。
その後は寝たきりになってしまいましたが、少しづつご飯を食べ、尿も出し…。
病院に連れて行くことも考えたのですが、出来ることは点滴や延命治療くらい?
最後の最後にチューブに繋がれて、ほんの少しの時間を延命して、病院の治療台の上で亡くなる…これだけはどうしても嫌でした。
23年も我が家で暮らしていたのだから、静かに我が家から旅立って欲しかったのです。
2月28日の土曜の夜に静かに眠るように亡くなりました。
立派な大往生でした。
いつもボク爺の介護をしてくれていたノン兄は最後の時も、顔やお尻をキレイに舐めてくれました。
ボク爺に教わったこと。
ストレスをストレスと感じない程に穏やかでいること。
長生きの秘訣なのかもしれません。
すべてを受け入れる優しい心を持つことも。
難しいけど、人間もそうありたいし、そうだときっと長生きできるのかも。(笑)
「明日死んでも大往生」って思った日から、この日までボクはとっても頑張ってくれたので、
寂しいけど悲しくはない。
ちょっとだけ泣いたけど、さわやかにお別れ出来ました。
悲しみ続けることは執着だから、思い続けることもしない。
だって忘れることは絶対ないから。
我が家のほとんどすべてのペット達と会ってるボク。犬5匹・猫6匹・ウサギ2匹…
23年間、御苦労さま。 そして長い長い楽しい時間をありがとう!!
「優しい男はモテるし、長生きなんだぜィ!」 byボク
日にちが前後してしまいましたが、ボクのことをキチンと書いてあげたかったので、
先日のゼブラでもこのことは誰にも言いませんでした。
あの日はタバサと遊ぼうと決めていた日だったし、ボク爺とは思い残す事が無い清々しいお別れだったから。
ただ、きちんと書くのに、ちょっと時間がかかってしまいました。
びっくりさせてしまったとしたら、ごめんなさい。
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